エルシャダイMAD史 ─光の死編─


 この随想は次の緒言をもって始まらねばならない。

 どんな人にも、その本質を分析することをためらう事物、できごとというものがある。私にとって天地創造以来の史実がそうであることを、まず冒頭で告白しなければならない。しかしこうした事物、できごとを通して自分に開示された普遍的なものを、他の人に伝えない、といったことほどの大きなためらいであってはならない。ただこのような伝達は、本来、学問的な形式で行われるのではなく、自分で気がついたと信じたもので、それを伝えたら他の人にとって有益であるかもしれない、と思うものを、動画にして提示する、といった控えめな形式で行われうるのである。

 

 「100年知っていても100年目にはじめてその内容の重さと恐ろしさに驚く、といったことがあるものなのである」

 思うにエルシャダイMADは、他の多数の動画と同様、外界のあるできごとの編集的な捏造によって、しかも簡潔にして美声な言語表現によって、精神的世界の原初的出来事全体を照らし出した。

 

…つまり、「あれは今から360000、いや、14000年前だったか」。この数字を好き放題に替えてしまえば、我々が考えた出来事を彼が語ってくれる、という寸法です。面白いでしょう(笑い)

 しかし…(中略)…それは捏造ではないのかも、と。暇を持て余した天使が、彼のお気に入りの出来事を、時に冗談も交えて我々の耳元で囁き、仮初の書記官に職務を全うさせているのかもと、あの時そう思ったのです。

 それなら、その編纂による年表も何らかの意味の史実であると、そうは言えないでしょうか。[匿名]

 

 その場合、私がすぐに考えるのは、2011年4月28日朝のとぅる氏の「裏表シャダイズ」である。これは、神が我々に与えたものの中で、言語的にももっとも謎深いものに属する。公式音声やそれ以外の散文で書かれたこの一篇の動画には、発売前の世界の光の暗黒化について述べられているが、それがとくに意図的ではなく、知らずしらず内的光の暗黒化と、あの時代の芸術についても語っていることになるのである。そして後者には、まさにこのような暗黒化のしるしを示している。このようなことがいったいどうして可能なのか、これについて私は少なくとも、二、三の動画を紹介したいと思っている。

 しかしおそらく、このような暗示や解釈は全く必要としないのかもしれない。またそれを知るためには、この出来事を認めるだけで十分なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

話をしよう。あれは今から

 

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だったか。

 

 

私は爪楊枝と付き合ってた

そう、私は糸楊枝だった。

 

Lucifel

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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図1.年表

 

 

 これマジ?真に特筆すべき年代に対して分解能が低すぎるだろ。投了不可避。対数軸にするのが今後の課題だと思った(小並感)

 

謝辞

 これは、先日公開されたエルシャダイMAD史に触発され、エルシャダイMAD史ってこういうのじゃね?という筆欲(実は以前からあった)が、立ち寄った図書館で目が逢った書物の文体を借りた内輪ネタです。著者、訳者、愛好家、読者の皆様、本当にごめんなさい。